『諸行無常・諸法無我』の本来の意味
諸行無常・諸法無我は、「世の中がむなしい、はかない」という悲観的な意味で理解されることが多いようですが、本来は、そのような意味ではありません。
特に、諸行無常は、「栄枯盛衰」や「盛者必衰」と似たような意味で使われることが多いですが、それも本来の意味とは異なります。
諸行無常・諸法無我とは、本来、悟りを開いたときに到達する精神状態を説明したものです。
悟りを開くとは、本来、死後の世界に行くとか、神のような存在になるとか、そのような宗教的な意味ではありません。
正しいやり方で瞑想を続けていると、精神状態が劇的に改善する瞬間が訪れます。
それがどのような状態かを言葉で説明するのは難しいのですが、悟りを開いた状態には、次のような特徴があります。
- 精神の自由と安定が得られる。
- この世界の本質が自ずと理解できるようになる。
悟りを開くという言葉の本来の意味は、瞑想を通じて上記のような精神状態に到達することをいいます。
そして、その精神状態がどのようなものであるかを説明した言葉が諸行無常・諸法無我なのです。
つまり、悟りを開くと、諸行無常(全てが変化する)、諸法無我(全てが自分ではない)という精神状態に到達するということです。
それは瞑想によって目指すべき理想的な精神状態です。
まだ悟りを開いていない人からすれば、そのような状態のどこがよいのか理解できないかもしれません。
しかし、悟りを開けば、その意味が自ずと分かります。
まだ悟りを開いていない方は、ぜひ本サイトで紹介している瞑想法を試してみてください。
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