『八正道』の本来の意味

このページでは、『八正道はっしょうどう』という言葉の本来の意味について、心理学・精神医学の視点から解説します。

『八正道』とは?

八正道とは、人間の不幸の原因である煩悩を取り除く方法のことです。
具体的には、以下の八つの道です。

  1. 正見(正しく見る)
  2. 正思惟(正しく考える)
  3. 正語(正しく話す)
  4. 正業(正しく行動する)
  5. 正命(正しく生活する)
  6. 正精進(正しく努力する)
  7. 正念(正しく気づく)
  8. 正定(正しく集中する)

しかし、八正道は、この八つの道を同時または順番に実践するという教えではありません。
最初の「正見」さえ意識して実践すれば、残りの七つの道は自ずと達成されます。
つまり、正しく見ることさえ徹底すれば、あとは自ずと、正しく考え、正しく行動し、正しい結果がもたらされる、そのサイクルを繰り返すことで、人間は幸福になれる、ということを意味しています。

『正見』とは?

しかし、「正見」とはいっても、そもそも何を見ればよいのでしょうか?
それは、八正道が取り除こうとしている煩悩とは何かを考えると分かります。

煩悩とは、本来、欲求そのものではなく、欲求によって思考力や判断力が低下すること(認知のゆがみ)をいいます。
認知のゆがみは、以下のようなプロセスで発生し、小さな苦痛が大きな苦痛を招くという悪循環を生み出します。

  1. 苦痛を感じる。
  2. 苦痛から逃れたいという欲求が生じる。
  3. 苦痛が伴う情報を意識から遮断しようとする。
  4. 脳が本来認知すべき情報を認知できない状態となり、思考力や判断力が低下する。
  5. 身の回りの問題を合理的に解決できなくなる。
  6. 身の回りの問題が深刻化し、さらに大きな苦痛を招くという悪循環に陥る。

苦痛から逃れようとして煩悩が生じるのであれば、それとは逆に、苦痛から目を背けずに正面から向き合うことで、煩悩を排除できるはずです。
つまり、「正見」とは、苦痛そのものを見ることを意味しています。

苦痛を観察する瞑想法

しかし、苦痛を漫然と見るだけでは、単に辛いだけで何の意味もありません。
煩悩を排除するには、瞑想によって苦痛を徹底的に観察し続ける必要があります。
つまり、八正道とは、「苦痛を観察する瞑想法」を実践することで、煩悩が消滅し、真の幸福が得られる、という教えなのです。
具体的な瞑想のやり方については、「正しい瞑想のやり方」のページをご覧ください。

仏教の経典上の根拠

仏教の経典において、苦痛を観察する瞑想法によって悟りが開けることを示す記述は随所にありますが、比較的わかりやすい一節を引用しておきます。

我は「是は苦なり」と如実に知見し、「是は苦の集なり」と如実に知見し、「是は苦の滅なり」と如実に知見し、「是は苦の滅に導く道なり」と如実に知見せり。「是等は漏なり」と如実に知見し、「是は漏の集なり」と如実に知見し、「裏は漏の滅なり」と如実に知見し、「是は漏の滅に導く道なり」と如実に知見せり。

我は是の如く知り是の如く見るが故に、心は欲漏より解脱し有漏より解脱し無明漏より解脱して、「解脱に於て解脱せり」の智を生じ、「生は盡きぬ、梵行は修せられたり、爲すべきは爲されたり、更に生を受くる事なし」と知見せり。婆羅門、これ夜の後刻に於て、我、第三の智慧を體得し、無明は去りて明を得、闇は去りて明を得たるなり。

- 南伝大蔵経 律蔵 大分別 第一不浄戒

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